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2009-03-27 (Fri)

 


【 戸田城聖第二代会長 】


 


1.〈 獄中の悟達 〉


 43年(昭和18年)7月6日、戸田第二代会長は東京・白金台町の自宅に刑事の訪問を受け、治安維持法違反、不敬罪の容疑で検挙されました。高輪署に留置されてから3日目、刑事から牧口初代会長も検挙されたことを知らされた戸田第二代会長が、何よりも心配したのは高齢の初代会長のことでした。
警視庁に移送後、初代会長の姿を目にすることができたのは一度だけでしたが、初代会長が警視庁から東京拘置所に移送される折には、ほんのわずかな時間の面会が許されました。

 「先生、お丈夫で・・・・・・」
 この一言が、初代会長と第二代会長の生涯最後の別れとなってしまうのです。
 やがて第二代会長も、東京拘置所に移され、3畳ほどの独房での生活を強いられました。
池田名誉会長は、この当時の状況を、こう語っています。
「多くの同信退転の徒が、ネズミのごとく右往左往し、師と言っていた牧口先生を憎み、裏切っていった」
「そのなかで、ただ一人、戸田先生だけが『私は牧口先生の弟子である』と、師弟の道を貫かれた。牧口先生とともに獄に入られた戸田先生は言われている。『あなた(牧口先生)の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました』と。普通なら、牢獄まで一緒に連れていった人に感謝するはずはない。悪口や文句を言って当たり前であろう」「しかし、戸田先生は、牧口先生に心から感謝されていた。ここに、学会の根本である”師弟の精神”を残されたのである」

 粗末な食事による栄養失調と不自由な獄中生活にあっても、牛乳ビンのふたを集めて数珠をつくり、毎日、唱題を重ねていきました。そして44年(昭和19年)元日からは、法華経二十八品を読み進めていったのです。そうした中で、3月のある日、「仏とは生命なり」と、さらに11月中旬には「我、地涌の菩薩なり」との偉大な悟達を得たのです。

 ここに、第二代会長は、日蓮大聖人の仏法への確信を不動のものとするとともに、広宣流布の指導者としての自らの使命をはっきりと自覚したのです。
一方、初代会長は、この年、奇しくも学会創立の日の11月18日、73歳で尊い殉教の生涯を終えました。第二代会長が、初代会長の獄死を知らされたのは、翌年1月8日のことでした。



2. 〈 学会再建に奔走 〉 に続く

 

 

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